自由民主党衆議院議員 茨城県第2区 ぬかが福志郎

ぬかが福志郎が自らの人生を綴った 風雲ヤセがまん記

風雲ヤセがまん記

浪人時代

1年目の受験は失敗に終わった。次兄は「失敗したからといってくよくよすることはないよ。ほかの大学だっていいのではないか」と言ったが、私はひそかに浪人する決意を固めた。私は両親の反対を押し切って進学を決めたのだから、これ以上父母のお世話になるのはつらい。そこで私はなんとかアルバイトをしながら浪人生活を送る覚悟を決めた。しかし、これから経験したことのない道を歩んでいくことを考えると、不安はつのるばかりである。
長兄に反対されたり、これからの勉強方法で悩んだりすること約10日、私は東京に出てアルバイトをしながら浪人生活を送ることに踏み切ることにした。そこで友人の松沢君に相談し、住み込みで新聞配達をすることにした。このころ私は朝夕の新聞配達だけでなく、新聞代金の集金もやっていた。このままの生活で試験に合格できるのか不安になることもあった。できることならこの時間を勉強に使いたいと思ったこともあった。
その後、自由時間がより多い新聞店に移った。そこで私は、自分の将来について考えることが多くなった。 ところで単に大学に入るという目的だけでは、私はこんなにがんばれないと思う。その背景には、大学へ入って何かをする志がなければならないと考えるのである。このころの日記を読み返してみると、政治に関心を持ちはっきりと将来の職業として新聞記者を目標にするようになったのは間違いないようだ。
12月、私の友人で同じく浪人生活を送っている宮崎君から手紙が届いた。その内容は、家庭の事情で学資を出してくれる余裕がなくなってしまったため、来春の受験は断念し再来年の受験に備えるとのことだった。私は浪人生活がこんなにくるしいのかと身にしみて感じているのに、彼が2年間も浪人生活を送らなければならないはめになったことを知って、なんと言ってよいかわからずただぼう然としてしまった。これがしばらくすると、彼がかわいそうだというのを通り越して、学問への情熱に燃えている学生が勉強できない状況にある社会に対し、政治に対し、いいようのない怒りを覚えざるを得なかった。