自由民主党衆議院議員 茨城県第2区 ぬかが福志郎

ぬかが福志郎が自らの人生を綴った 風雲ヤセがまん記

風雲ヤセがまん記

高校時代

私は中学卒業後、地元の麻生高校に進学するつもりでいた。兄や姉が皆麻生高校の卒業生だからだ。しかし、次兄が東京にいる関係で「東京の高校へ行く気はないか」と母がすすめた。そのころ母は立正佼成会の会員であったため、新しくできた佼成学園高校を受けてみてはどうかということだった。担任の土井先生との相談の結果「県立高校の前に度胸だめしで受けてみよう」ということになり、受験してみた。すると、まもなく合格通知がきてしまった。結局、「いずれ末っ子のため家を飛び出して生計を立てなければならないということを感じていたし、将来、東京で働くことになるのなら早く東京の水に慣れていてもよい」という考えと東京へのあこがれの気持ちも手伝って、佼成学園高校へ進学することになった。
高校卒業後は安定した立派な企業に入社し、両親を安心させることが親孝行だと考えていた。しかし、高校2年ごろから次第に考え方が変わっていった。大学に行ってみたいという気持ちが湧き起こってきたのである。
当時は国論を二分して騒いだ「安保闘争」で岸内閣が退陣し、池田内閣が「所得倍増」を掲げて経済大国を目指して邁進していく時期であった。私は就職して親を安心させるという情にしたがって進路を決めるのか、それとも自分の生涯の仕事のことだからもう少し自分を見極めるべきか悩みに悩んだ。
だが、次第に18、19歳という若さで仕事を選択するよりも、大学で勉強し、人間関係を広め、さらに社会をよく見てから、本当に自分にふさわしい仕事をみつけるほうが自分には納得できるやり方のような気がしていった。そして、大学に進学する決意を固めていくのである。
大学進学での最大の問題は、学資であった。私は「アルバイトしながらやるからあまり負担はかけない。ただ受かったら入学金だけ出してほしい」と両親を説得し、反対していた父からも「国立大学ならよい」と許しを得るのである。しかし私自身は国立大学行く気はさらさらなく、、「反骨精神」と「在野精神」があるという早稲田大学に進学するつもりだった。そして、寮の大ホールで夜遅くまで勉強した。机の上にうつぶせになって夜を明かすこともあった。